小さいころ、私は怖いものがたくさん会った。
なぜ嫌いなのかわからないものが多かったけれど、
そのなかでも一番
夕日が苦手だった。
ほんの小さなころは田舎で暮らしていたが、あまりにもこわがる私をうっとうしくかんじた両親は、
野に広がる夕日を見ないようにと都会へ引っ越させた。
仕事があるから、と私一人、祖母の家で暮らした。
それから大きくなるにつれて、夕日が苦手だなんてことは忘れはじめていた。
大人になる過程でそれは消えていったんだと、私も両親も、近くで見守っていてくれた祖母でさえそう、思っていた。
一緒に大切な記憶も消えていることに気がついていなかった。


一、 遠い場所へ


「春日さん、これ先生に渡すように頼まれたんだけど」

そう話しかけると、一緒にいた友達との会話を一度とめて、
振り向いた。
「あ、わざわざありがとう」

にっこりとやさしげに笑う春日 望美のこの笑顔に惹かれている男子も多いはず。

今日みたいに、うっとうしい雨を振り払えるような、そんな笑顔。

私も、この笑顔は嫌いじゃない。


「ううん。じゃ、私行くから」

とだけ、言い残して私はそこを後にした。

ただのクラスメート。特に親しいわけではない。

その彼女が、私の夕日嫌いを、そしていろんな思い出を思い出す鍵になるとは

このとき、思ってもいなかった。




次の授業は移動教室で、仲のいい友達と一緒に移動している途中、

奈々子は自分が筆箱を忘れていることに気がついた。

「ごめん、筆箱忘れたからちょっととってくる」

「もー、奈々美忘れっぽいなー」

「ごめん」

友達にからかわれながら、教室へと足を向けた。




何人かの生徒を追い抜き、ぱたぱたと急ぎ足で渡り廊下のすぐそばまで私は来ていて

「クリスマスだけどさー・・・」

という春日さんの声が渡り廊下からするのに気がついた。

どうやらあの後、有川くんと一緒に移動することになったらしい。

春日さんは有川くんと仲がいい。幼馴染だとかいうことを聞いたことがある。

ぱっと二人が一緒に歩いている姿をみて、私は思わず『お似合いだな』なんて思っていた。
そのとき、




―シャン―



ビクっ

「鈴?」

なぜか、場違いなその音を聞いて私は不安を掻き立てられて、

ふと渡り廊下へと続く、扉の近くで足を止めた。

別に、場違いなことに不安を感じたのではない。

ただ、何か忘れてはいけないことを忘れているように感じて、

それが不安だったのだ。

周りを見渡しても、そこに鈴らしきすがたはなかった。

「なんだったんだろう?」

その後、私は春日さんたちとすれ違ってもいないのに出会わないことに

気がつかないまま、渡り廊下を通り過ぎようとした。


「・・・・・。」


いつもの私なら、そんなことしようとしなかっただろう。

ただ、なぜか渡り廊下に漂う『におい』に懐かしさを覚え、

校庭の端へと歩いていった。

雨が降っていることもかまいもせずに。

まるで、何かに引き寄せられるかのように。



「井戸・・・」

初めて、気がついたはずの井戸。

でも、なぜか知っているような気がした。



古い、井戸。



本当にその日の私は変だった。

なんで、その井戸のふたを開けようとしたのか、なんて

後でなんど考えようとしてもわからない。

ただ、その井戸に懐かしさを感じたんだ。



ギィィィィ



そんな古い洋館のドアを開けるような音がして、そのふたは

取り払われた。

そっとのぞいて見ると、底が見えない程暗い。

本当に、その井戸がそんなに深いのか確かめたくなって、

なんとなくもう少し身を乗り出してみた。


「うわっ!!!」

が、それが災いしたのか、雨で濡れた地面に足を滑らせた私は

暗く、寒いその井戸の中に落ちていった。




「!!!」

覗いた暗い井戸。

その中に落ちていくことはすごく怖かった。

ただただ、怖くて、自分が底に着くのがずいぶんと遅いことに気がつきもしないまま、
意識を手放した。